日本の10円硬貨のデザインにもなっている京都府宇治市の【平等院】は、修学旅行の定番地にもなっている、京都の人気観光地の一つです。
しかしながら、日本人にとって馴染み深いはずの【平等院】の歴史については、あまり知られていないのも事実なんです。
【平等院】が硬貨のデザインに選ばれたのはなぜ?と不思議に思ったことはありませんか?
そこで今回は、京都府宇治市の【平等院】の歴史や見どころについて、たっぷりお伝えしたいと思います。
是非、最後までご覧下さい。
京都府宇治市の【平等院】は1052年(永承7年)に藤原頼道によって創建されました。
創建の翌年1053年(天喜元年)阿弥陀如来を安置するための「阿弥陀堂」を建立しました。
もともとこの場所には、藤原頼道の父、藤原道長の別荘(宇治殿)が建てられていましたが、この地を譲り受けた頼道が【平等院】に建て替えました。
なぜ、頼道は父の別荘を寺院に作り変えたのでしょう。
その理由は、1052年(永承7年)という時代の背景にありました。
1052年(永承7年)は「末法初年(元年)」といわれています。
1052年(永承7年)の末法初年(元年)は、※末法思想の世が始まると信じられていた年です。
※末法思想とは?・・・仏教の開祖である釈迦が紀元前949年に入滅(死去)し、それから2000年経った1052年(永承7年)には、釈迦の教えは廃り、世が乱れていくという思想のことです。
この末法思想は、近代でいうノストラダムスの大予言のようなもので、明確な根拠はなかったのだと思いますが、偶然にも、この1052年(永承7年)という年は、国司を抑えるほど武士の力が台頭し、仏教界においても暴力で力を通そうとする向きも出てきて治安が乱れ始めた年だったのです。
末法思想を信じていた当時の人々は、恐ろしい時代が始まったと絶望感をもったことでしょう。
末法の時代が始まり、現世での悟りをあきらめた人々の考えは、「死後の世界」にシフトしていきました。
このような時代背景のもと、死後の世界で極楽へ行くことを教えとしている「浄土教」が世の中に浸透していくこととなったのです。
さて、頼道がなぜ【平等院】創建したのか?という本題に戻りましょう。
世の中に広がる浄土教の教えでは、死後、極楽浄土にいくためには、阿弥陀様に迎えに来てもらって極楽に連れていってもらうというのが必須、そのためには、現世で※「観想(かんそう)」という境地に達する必要がありました。
※「観想(かんそう)」とは・・・阿弥陀如来の姿や極楽浄土の様子を鮮明に思い浮かべられるようになることで、これには厳しい修行が必要とされていました。
この「観想(かんそう)」の境地に至ってはじめて見ることができる極楽浄土の世界を、具現化したのが【平等院】なのです。
頼道が浄土宗を信仰していたかどうかは不明ですが、末法の時代が始まり不安定になる世の中の安寧と人々の心身の安定を願い【平等院】を建てたのではないかと考えられます。
【平等院】といえばやはり10円硬貨のデザインになっている「鳳凰堂」ですが、【平等院】の境内には他にも見どころがたくさんあるんですよ。
「鳳凰堂」はもちろん、他の見どころについてもいくつかご紹介しましょう。
平等院鳳凰堂は、1053年(天喜元年)阿弥陀如来を安置するための阿弥陀堂として建立されました。
鳳凰が羽を広げたように見える建物と左右の屋根に付けられた鳳凰が特徴的で江戸時代に入った頃から鳳凰堂と呼ばれるようになりました。
本尊の阿弥陀如来坐像は、高さ約2.5m、ヒノキ材による寄木造りで作られています。
この阿弥陀如来坐像は藤原時代を代表する天才仏師「定朝(ていちょう)」の晩年の傑作といわれており、定朝の作品だと確証のある唯一のものです。
日本彫刻の歴史における寄木造り技法・和様の完成を示す貴重な遺作ということで、国宝に指定されています。
鳳凰堂の内部は、経典に描かれる浄土の楼閣をイメージした内装が施されていて、扉絵には、※「九品来迎図(くほんらいこうず)」が描かれています。
※「九品来迎図(くほんうらいこうず)」とは・・・大乗経典の1つ「観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)」に基づき、生前の行い、信仰によって臨終の際の阿弥陀如来のお迎えが、お迎えに来てくれる人や、来る人数、極楽浄土までの乗り物などの待遇が、上の上から下の下まで9段階に分けられている様子が分かりやすく大和絵風に描かれています。
また、鳳凰堂の壁には、52体の雲に乗った仏像※「雲中供養菩薩像(うんちゅうくようぼさつぞう)」が付けられています。
創建当時は華やかな彩色が施されていて、極楽浄土の光景を立体的に表現した見事な像です。
現在は国宝に指定されています。
※「雲中供養菩薩像(うんちゅうくようぼさつぞう)」とは・・・ヒノキの一木彫、坐像で40㎝、立像で87㎝の大きさ。琴、琵琶、鉦鼓など楽器を持っているものや、蓮台、宝珠をもっているもの、舞うもの、合掌するものなど多種多様の像があります。
1492年(明応元年)∼1501年(明応10年・文亀元年)の明応年間に浄土宗の僧「栄久(えいく)」によって創建された【平等院】の塔頭寺院です。
阿弥陀如来坐像や伝帝釈天(でんたいしゃくてん)立像など多くの文化財があります。
養林庵書院は、国の重要文化財に指定されていますが、一般公開はされていません。
天台宗系の塔頭寺院です。
1654年(承応3年)京都東山の住心院(じゅうしんいん)の僧が【平等院】に移り、この場を住庵としたことが始まりです。
不動明王を安置しています。
最勝院の中には、1180年(治承4年)平治の乱で戦いに敗れ【平等院】の境内で自害した源頼政の墓があります。
【平等院】の藤棚に隣接している観音堂は、創建年は不明ですが鎌倉時代初期に建てられたのではないかといわれています。
本尊十一面観音像を安置していましたが、保存の観点から2010年(平成22年)7月以降非公開となりました。
現在、十一面観音像は鳳翔館ミュージアム館で見ることができます。
六角堂は1902年(明治35年)に行われた鳳凰堂の修繕工事の際に翼廊の柱を利用して作られました。
六角堂越しにみる鳳凰堂は正面からの光景とはまた違った見え方の光景を楽しむことができるので撮影ポイントとして人気のスポットです。
平安時代に完成した最古の浄土式庭園で国の史跡・名勝に指定されている平等院庭園にある池です。
鳳凰堂の周囲に広がる阿字池は極楽の宝池を模して作られています。
阿字池をぐるっと一周して様々な角度から鳳凰堂をみるのも楽しいですよ。
鳳凰堂の南側、庭園のほとりに建っている鐘楼は、姿の平等院・声の円城寺・勢の東大寺といわれる「天下の三名鐘」です。
龍頭が飾られ、宝相華唐草(ほうそうげからくさ)の地文の上に鳳凰や踊る天人が描かれています。
つるされている梵鐘はレプリカですが、鳳翔館ミュージアムで本物を見ることができます。
鳳翔館ミュージアムには、【平等院】に伝わるたくさんの宝物が展示されています。
鳳凰堂内部の彩色を再現した展示室や、最新技術が使われているコンピューターグラフィックスで作られた映像も見ることができます。
売店もあり、ここでしか手に入らない【平等院】オフィシャルグッズがたくさん用意されていますよ。
皆さんは、【平等院】が10円硬貨のデザインに選ばれていることに疑問を感じたことはありませんか?
実のところ、選ばれた理由というのは正式に公表されていないのです。
そこで今回【平等院】を拝観し、自分なりに考えてみた結果です。
と、まぁ、本当の理由は分かりませんが、こんな理由ではないでしょうか。
所在地:〒611-0021 京都府宇治市宇治蓮華116
地図はこちら↓
電話:0774-21-2861
拝観時間:午前8:30~午後5:30 鳳翔館と集印所午前9:00~午後5:00 鳳翔堂内部拝観:午前9:30~午後4:00(受付開始午前9:00)
拝観(庭園+ミュージアム)料金:大人700円 中学生400円 小人300円
鳳凰堂拝観料金:一律300円
鳳凰堂内部を拝観される際は、上記写真左の入場券とは別に写真右の平等院鳳凰堂内部拝観券が必要です。
また鳳凰堂内部拝観は人数を制限して行われていますので、鳳凰堂内部拝観券には鳳凰堂内部への入場時間が記載されています。
記載されている時間にしか鳳凰堂内部を拝観することはできませんのでご注意ください。
JR奈良線「宇治駅」から徒歩10分
京阪宇治線「宇治駅」から徒歩10分
【平等院】には専用駐車場はありません。車で行かれる際は【平等院】南門前の「宇治駐車場」がおすすめです。
地図はこちら↓
詳しくは宇治駐車場ホームページでご確認ください。
今回は、京都府宇治市の人気観光地【平等院】をご紹介させていただきました。
鳳凰堂以外にも歴史ある建物があり【平等院】は見どころ満載の寺院です。
【平等院】はその名前の通り、宗派や身分に関係なく、全ての人々の幸せと世界の平和を願い建てられたのではないでしょうか。
多様性の世界を目指す現代の思想にもマッチしていますよね。
京都府宇治市に訪れた際は、是非、【平等院】に立ち寄られてみてください。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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