京都市伏見区にある【醍醐寺】は、桜と紅葉の名所として人気の観光地です。
【醍醐寺】は敷地面積約200万坪もあり境内はゆったりとした作りです。
そのため清水寺や金閣寺など他の京都の観光地と比べて参拝しやすいので、人混みは苦手という方にぴったりの観光地だと思います。
今回は、桜がちょうど見頃を迎えた時期に【醍醐寺】に行ってきましたので、美しい桜の画像とともに、【醍醐寺】の魅力について詳しくお伝えしたいと思います。
どうぞ最後までご覧ください。
【醍醐寺】は、京都市伏見区にある真言宗醍醐派の総本山となる寺院です。
桜の名所としても有名で、日本の桜名所100選にも選ばれています。
豊臣秀吉の最後の歓楽として「醍醐の花見」を行ったのが、【醍醐寺】です。
【醍醐寺】は874年(貞歓16年)に真言宗の僧、理元大師聖宝(りげんだいししょうぼう)によって開創されました。
この聖宝は、空海(弘法大師)の孫弟子にあたる人物で、天智天皇(中大兄皇子という方がピンとくる方は多いかもしれませんね。)の6世孫です。
907年(延喜7年)には醍醐天皇が【醍醐寺】を自らの祈願寺として手厚い屁護を与え、その圧倒的な財力のおかげで【醍醐寺】は発展していきました。
室町時代には、応仁の乱や文明の乱によって荒廃してしまった時期もありましたが、安土桃山時代に入り、豊臣秀吉が復興・再建に尽力し【醍醐寺】は守られてきました。
【醍醐寺】は開山以来、天皇・貴族・武家・民衆など多くの人々の祈りに支えられ、現代まで守られてきた寺院といえますね。
【醍醐寺】は、敷地面積約200万坪という広大な寺院で、その境内には、国宝や重要文化財に指定されている建物や寺宝がたくさんあります。
【醍醐寺】に行ったら必ず見ていただきたい見どころをご紹介します。
【醍醐寺】の※座主(ざす)の住居する本坊として、【醍醐寺】の中核をになってきた三宝院は、1115年(永久3年)に、醍醐寺第14世座主・勝覚僧正によって建立されました。
※座主(ざす)とは・・・住職最上位の別称
現在の三宝院は、1598年(慶長3年)に豊臣秀吉が「醍醐の花見」契機として整備されたものです。
三宝院庭園は秀吉が自身で基本設計したもので、国の特別史跡・特別名勝に指定されています。
三宝院を拝観するには、【醍醐寺】拝観券とは別に、三宝院御殿特別拝観券が必要です。
三宝院はこのような作りになっています↓
小玄関と大玄関があり、竹の間・冨獄の間・日・月の間があります。日本画家浜田泰介画伯が奉納した襖絵を見ることができます。
三宝院の入口付近にある3つの応接室です。
葵の間では、京都三大祭りのひとつ「葵祭」の風景を描いた襖絵があります。
秋草の間・勅使の間には、長谷川等伯一派による「秋野図」「竹林花鳥図」が描かれた襖絵を見ることができます。
勅使の間は、入口から最も遠く、床の高さも高くなっています。
天皇の代理人である勅使を丁重に迎え、もてなしたいという敬意を示すためだと考えられます。
朝廷からの使者を迎えるための勅使門が唐門です。
現在の唐門は、1599年(慶長4年)に作られた唐門を当時の姿に復元したものです。
豪華絢爛な唐門から、安土桃山時代の気風を感じ取ることできますね。
(下段27畳)・(中段18畳)・(上段15畳)の間があります。
下段の間は、揚舞台の間とも言われていて、畳をあげると能舞台になります。
下段の間を能舞台にした時に、中段・上段の間から能や狂言を鑑賞できるように設計されています。
上段・中段の間の襖絵には、長谷川等伯一派の「四季の柳」「山野の風景」が描かれていて、下段の間の襖絵には、石田幽汀の「孔雀と蘇鉄」が描かれています。
豊国大明神とは、後陽成天皇から豊臣秀吉に贈られた神号です。
【醍醐寺】の復興に尽力した秀吉の恩に報いるために、1600年(慶長5年)秀吉を祀る豊国神社より分霊を迎え祀った社です。
「天下を取る者が所有する石」として、室町時代から歴代の権力者が所有し受け継いできた石です。
「醍醐の花見」の後に豊臣秀吉が聚楽第から三宝院庭園に運び込んだとされています。
藤戸石の左右にも景石を置いて三尊組にして配置されています。
樹齢500年をこえる五葉松(姫子松)が亀の甲羅のように見えます。亀頭石・亀甲石・亀尾石を配置して、「亀の静寂」を表現しています。
三角形の板石を鶴の羽、石橋を鶴の首に見立て「鶴の躍動感」を表現しています。
横一列に三石を並べて京都の加茂川を表現しています。
左の石は「速い流れ」真ん中の石は「淀んだ川」右の石は「川の流れが割れて砕け散る様子」を表しています。
三宝院の大玄関の前にある桜です。
太閤しだれ桜の東南側には、世界で初めて開花に成功した組織培養のクローン桜が植えられています。
豊臣秀吉が「醍醐の花見」の際に使用した建物を槍山から移築したものです。
桜と紅葉の襖絵があります。この襖絵は平成に入ってから描かれたものなので色鮮やかな襖絵が楽しめます。
座主の居住空間です。万が一の場合に備えた武者隠しが作られています。
天下の三大名棚と称される「醍醐棚」を見ることができます。
この奥宸殿の座敷のあるポイントに座ると、目線の先に藤戸石が見える場所があります。
奥宸殿に行かれた際は、探してみてください。
本堂には、弥勒菩薩(みろくぼさつ)を本尊に、宗祖・弘法大師、開祖・理元大師正宝が祀られています。
この本堂は公開エリアではないので、入ることはできません。
【醍醐寺】のシンボルともいえる五重塔は、醍醐天皇の菩提を弔うために951年(天暦5年)に建立されました。
京都府下で最古の木造建築物で国宝に指定されています。
高さは約38メートル、屋上の相輪(先端部分のこと)は13メートルもあります。
初層の内部には、※両界曼荼羅(りょうかいまんだら)・※真言八祖(しんごんはっそ)など密教絵画の源流といわれるものが描かれています。
※両界曼荼羅(りょうかいまんだら)とは・・・大日如来の真理や悟りを視覚的に表現したもの
※真言八祖(しんごんはっそ)とは・・・真言密教の伝承に貢献した8人の高僧
残念ながら五重塔の内部は通常非公開で見ることはできません。
【醍醐寺】の本堂である金堂は、926年(延長4年)に建立されましたが、2度も焼失しています。
現在の金堂は、1600年(慶長6年)に豊臣秀吉が紀州(現在の和歌山県)から移築し、再建したものです。
この金堂も国宝に指定されています。
金堂内部に入ることはできませんが、正面から本尊の薬師如来坐像を拝観することができます。
【醍醐寺】の霊宝館では、国宝や重要文化財に指定されているものだけで7万5千点以上、未指定のものを含めると、その数なんと!10万点以上‼もの貴重な寺宝を見ることができます。
【醍醐寺】の貴重な寺宝の保存と公開を兼ねた施設として、1930年(昭和5年)に醍醐天皇千百年御遠忌に霊宝館の建立が計画され、1935年(昭和10年)に完成し開館しました。
2001年(平成13年)に、上醍醐薬師堂の本尊「※薬師如来坐像」を安置するための大展示室を増築。
2014年(平成26年)には、通称五大力さんとして知られる、「木造五大明王像」も霊宝館に遷座されました。
※薬師如来坐像とは・・・【醍醐寺】開祖の聖宝の弟子であった会理僧都(えりそうず)が作ったと伝えられている。
病気や苦しみを除く仏として信仰されていて、かつては患部や痛みを感じる場所に金箔を貼って治癒を祈っていたことから「箔薬師」ともいわれています。
春になり桜の時期を迎えと、【醍醐寺】の霊宝館の周りでは、醍醐大しだれ桜や、京都最古のソメイヨシノ、手毬のように球形に花が咲く白山大手毬など様々な桜を見ることができます。
所在地:〒601-325 京都市伏見区醍醐東大路町22
地図はこちら↓
TEL:075-571-0002
拝観時間や拝観料金に関しては、【醍醐寺】公式ホームページこちらでご確認ください。
京都市営地下鉄東西線「醍醐駅」下車2番出口より徒歩約10分
京阪バス22・22A系統「醍醐寺前」下車
京阪バス京都醍醐寺ライン
【醍醐寺】には専用駐車場があります。
駐車場利用可能時間: 9時から16時20分(3月1日から12月第1日曜日まで) 9時から15時20分(12月第1日曜日翌日から2月末日まで)
駐車場利用料金: 普通車700円(5時間以内、以降30分毎100円) 大型車2000円(5時間以内、以降30分毎300円)
詳しくはお出かけ前に【醍醐寺】公式ホームページこちらをご確認ください。
今回は、京都伏見の人気観光地【醍醐寺】についてお伝えしました。
【醍醐寺】は開山から現代まで、天皇・貴族・武家・民衆と階級を越えた多くの人々の信仰心に支えられ、守らてきた寺院です。
長い歴史の中で育まれた貴重な寺宝を、「一木一草」に至るまで文化財と心得、「生かされてこそ文化財」という思いを大切に伝承されています。
仏像や絵画、工芸品など10万点以上の【醍醐寺】の寺宝は、一見の価値ありです。
是非、一度お出かけされてみてはいかがでしょう。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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