京都の年末の風物詩!京都・山科【山科義士まつり】2024開催‼

12月になり、冬らしい寒さを感じる日が多くなりました。

紅葉の見頃の時期も終わり、師走の京都観光どこで楽しもう?と考えている方もいるのでは?

今回は、12月の京都観光におすすめのイベント【山科義士まつり】2024をご紹介させていただきます。

京都の年末の風物詩としても有名なイベントです。

是非、最後までご覧ください。

目次

【山科義士まつり】2024とは?

出典:山科義士まつり公式ホームページより

【山科義士まつり】2024は京都市山科区で開催されるお祭です。

大石内蔵助はじめ赤穂浪士四七七士を偲ぶため、毎年討ち入りが行われた12月14日に開催されています。

【山科義士まつり】では、山科区民が赤穂義士の討ち入りを再現し、討ち入り装束を装い、毘沙門堂~大石神社までを練り歩きます。

コースの途中に設けられた舞台では「刃傷松の廊下」や「元禄花見踊」のパフォーマンスが披露されます。

赤穂義士と山科の関係について

ところで皆さんは、赤穂義士と京都山科?と不思議に思いませんか?

赤穂義士の赤穂藩は、播磨の国(現在の兵庫県南部)に作られた藩です。

一見、京都山科とは関係なさそうな気がしますが、実は深い関係があるんです。

第五代将軍徳川綱吉の時代、当時の赤穂藩藩主だった浅野長矩(あさのながのり)が、高家旗本の吉良上野介(きらこうずのけのすけ)に切りかかるという事件があったことをご存知の方は多いと思います。

当時は喧嘩両成敗で裁きを受けるのが常だったにもかかわらず、吉良上野介には何のお咎めもなく、浅野長矩だけに切腹が命じられ、赤穂藩は取り壊しになりました。

この事に納得がいかなかった、赤穂藩家老の大石内蔵助が江戸城の吉良上野介邸に討ち入りしたという事件は「忠臣蔵」という作品の題材にもなっていて有名ですね。

そしてこの事件こそが、赤穂義士と山科を繋ぐ出来事だったんです。

大石内蔵助は、赤穂藩が取り壊しになってから、吉良上野介邸に討ち入るまでの約1年間、京都山科に隠せいしていました。

なぜ京都山科だったのか?というと、藩が取り壊しになり浪士になってしまった大石内蔵助は、同じ浅野家の家臣で自分の親戚筋にあたる進藤源四郎に助けを求めました。

この時、進藤源四郎は山科西野山の名士で山科に住んでいたため、大石内蔵助も山科で暮らすことになったというわけです。

京都山科という土地は、閑静で人目が少ないわりには、交通の利便性が良い場所で、吉良上野介討ち入りに向けて仲間と作戦を講じるのに都合がよかったのかもしれません。

約1年間、京都山科で隠せい生活を過ごしていたため、京都山科は赤穂義士ゆかりの地といわれるようになったということですね。

【山科義士まつり】2024の開催情報

開催日:2024年12月14日(日曜日)

開催場所:京都市山科区 毘沙門堂~岩屋寺~大石神社

開催場所周辺の地図はこちら↓

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