京田辺の隠れた名刹・酬恩庵(一休寺)一休さんゆかりの地を歩く

京都の南、京田辺市の静かな里に佇む「酬恩庵(しゅうおんあん)」。

通称「一休寺」と呼ばれるこの寺は、童話やアニメで知られる「とんちの一休さん」ゆかりの地です。

一休さんこと「一休宗純(そうじゅん)」が、晩年を過ごしたのがこの酬恩庵です。

方丈や庭園には、室町時代の文化と一休の思想が今も息づきます。

青もみじに包まれる境内は、秋になると一面の紅葉に染まり、その美しさは訪れる人を魅了してやみません。

歴史と自然が交差するこの場所で、あなたも「本当の一休さん」に出会ってみませんか。

目次

一休寺とは?

京都府京田辺市にある 酬恩庵(しゅうおんあん)、通称「一休寺」。

とんち話で知られる一休さんが晩年を過ごし、ここで88歳の生涯を閉じたお寺です。

一休はただの「おもしろ僧侶」ではありません。

実は 後小松天皇の皇子として生まれた皇族出身の禅僧。権威や形式を嫌い、庶民と共に自由に生きたことで、後世に強い印象を残しました。

一休禅師ってどんな人?

一休禅師こと一休宗純(いっきゅうそうじゅん)その本質は「禅の真理を突きつめた僧侶」。

庶民に親しまれる一方で、深い詩歌や思想を残しました。

1394年生まれ。

なんと 父は後小松天皇(ごこまつてんのう)とされ、皇族の血を引く禅僧でした。

幼くして出家し、大徳寺で修行を積みます。

規律や権威にとらわれず、時に破天荒な行動で人々を驚かせました。

酬恩庵の歴史

  • 南北朝時代、南朝方の将・楠木正行の菩提を弔うため創建。
  • 応仁の乱後に荒廃するも、一休が再興。
  • 「酬恩」とは「受けた恩に報いる」という意味。

戦乱で荒廃した京都を離れ、静かな京田辺に拠点を置いたことは、一休の思想を象徴しています。

形式に縛られず、しかし「恩を忘れない」という禅僧としての到達点が、この寺に刻まれています。

見どころ

歴史ある酬恩庵は見どころ満載!

方丈(国宝)

室町時代の典型的な禅宗建築。

簡素ながら格調高い造りで、禅の美を体感できます。

方丈庭園(国指定名勝)

東・南・北の三庭で構成される枯山水庭園。

  • 青もみじに包まれる夏の静けさ
  • 真っ赤に染まる秋の華やかさ
    どちらも味わい深い景観です。

取材時は青もみじでしたが、この緑がやがて紅葉に燃える姿を思うと、秋の訪問がますます楽しみになります。

本堂

江戸時代初期に再建された、本寺の中心となる建物。

ご本尊の 釈迦如来坐像 が祀られ、堂内には一休禅師の晩年を写したと伝わる 一休禅師坐像(重要文化財) も安置されています。

童話の一休さんとは異なる、厳格で気高い本来の姿を感じられる貴重な空間です。

紅葉の季節には、色づいた木々が本堂を包み込み、まるで絵巻物のような光景が広がります。

一休禅師木像(重要文化財)

晩年の姿を写したと伝わる木像。親しみやすい一休さん像とは異なる、気高く厳格な一面が見られます。

一休寺納豆

発酵食品の一種で、禅僧の保存食として広まりました。歴史を味わえる一品。

一休寺おみくじ

禅の教えを記したおみくじです。

中には知恵の御守りが入っています。

歴史好きが注目すべきポイント

  1. 皇族出身の禅僧が、権威を嫌って庶民と生きた逆説的な人生
  2. 応仁の乱後の文化復興と、京田辺という地の選択
  3. 「酬恩」の寺号に込められた思想

酬恩庵 一休寺 基本情報

  • 〒610-0341京都府京田辺市薪里ノ内102

地図はこちら↓

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