天才作庭師が手掛けた庭園がある京都の世界遺産【天龍寺(てんりゅうじ)】へ行こう!

今回ご紹介するのは、京都の世界遺産【天龍寺】です。

【天龍寺】にある庭園「曹源池庭園」は、日本で初めて史跡・特別名勝に指定された庭園だということをご存知でしょうか。

この庭園を手掛けたのは、天才作庭師といわれた夢窓疎石です!

庭園だけじゃなく、一度は訪れてみたくなる見どころ満載の【天龍寺】について詳しくお伝えさせていただきます。

是非最後までご覧ください!

京都の世界遺産【天龍寺】とは

【天龍寺】は1339年(暦応2年)に、室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)によって創建されました。

臨済宗天龍寺派の大本山の寺院です。

正式名称は、霊亀山天龍資聖禅寺(れいぎざんてんりゅうしせいぜんじ)といいます。

【天龍寺】は、1994年(平成6年)12月に「古都京都の文化財」として世界遺産に登録され、国内外から多くの参拝者が訪れる人気の観光地です。

【天龍寺】の歴史を簡単にご紹介しましょう。

【天龍寺の歴史】

現在【天龍寺】がある場所は、もともとは平安時代初期に嵯峨天皇(さがてんのう)の皇后が建立した、「壇林寺(だんりんじ)」という禅宗の尼寺がありましたが時代とともに衰退していきました。

1399年(暦応2年)に、足利尊氏が96代天皇・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の菩提を弔うために、開山に夢窓疎石(むそうそせき)を迎え、この地に【天龍寺】を創建しました。

建立当時は年号を取って「暦応資聖禅寺」と称する予定でしたが、足利尊氏の弟である足利直義(あしかがただよし)が、寺の南の大堰川に金龍が舞う夢を見て、縁起がいい!と思ったかどうかは分かりませんが「天龍資聖禅寺」と名付けたということです。

創建後は幾度も大火災に見舞われ、多くのお堂が焼失したため、当時の建物は残っていません。

現在の建物は明治時代後期に再建されたものです。

1994年(平成6年)に古都京都の文化財として世界遺産に登録されました。

また、1955年(昭和30年)には、日本で最初に史跡・特別名勝に指定されたのも【天龍寺】です。

後醍醐天皇と足利尊氏の関係

【天龍寺】の歴史について簡単にご説明しましたが、歴史に詳しい方ならアレ⁇っと思ったのではないでしょうか。

【天龍寺】は後醍醐天皇の菩提を弔うために足利尊氏が建立したのですが、足利尊氏は主君である後醍醐天皇に謀反を起こした人物であることをご存知の方も多いでしょう。

なぜ、足利尊氏は敵対関係にあった後醍醐天皇のために【天龍寺】を建てたのでしょうか?

敵対関係になる以前、足利尊氏は鎌倉幕府打倒の中枢を担い、後醍醐天皇を支え、建武政権の立役者といえる人物でした。

しかし、後醍醐天皇が掲げた「建武の新政」は、後醍醐天皇に権力が集中した独裁政権で、貴族ばかりが優遇される政治だったため、足利尊氏は不満をもち、2人の信頼関係は揺るぎ始めました。

その後1336年(建武3年)に足利尊氏が「延元の乱」を起こし、関係性は完全に破綻しました。

この出来事をきっかけに、南北朝時代に突入していくことになったわけです。

その後、2人は和解することのないまま1399年(暦応2年)8月に後醍醐天皇が逝去しました。

ここである人物が、足利尊氏に後醍醐天皇のために【天龍寺】を建立すべきだと訓示したのです。

その人物こそが、【天龍寺】の開山・夢窓疎石です。

足利尊氏と夢窓疎石の関係

夢窓疎石(夢窓国師とも呼ばれています)という人物は、南北朝時代の禅僧で、権力者や門下から慕われた人格者として知られています。

後醍醐天皇も夢窓疎石に帰依していたため、1325年(正中2年)後醍醐天皇は夢窓疎石を上洛させて南禅寺の住持(住職)にしています。

足利尊氏も夢窓疎石に帰依していました。

後醍醐天皇・足利尊氏の2人と関わりのあった夢窓疎石は、後醍醐天皇が逝去した際、足利尊氏に「※報恩謝徳(ほうおんしゃとく)」の教えを説いたといわれています。

※報恩謝徳(ほうおんしゃとく)とは、受けた恩や徳に感謝し、報いること。

後醍醐天皇に対する謀反・裏切りなどの行動に※慚愧審(ざんぎしん)をもち、深く悔恨陳謝すると同時に、一切の陣没者の霊魂を追福するため、【天龍寺】を建立すべきだと足利尊氏を説得したと伝えられています。

※慚愧審(ざんぎしん)とは、自分の見苦しさや、過ちを反省して、心に深く恥じること。

【天龍寺】の建立のための資金調達を担ったのも夢窓疎石です。

「天龍寺船」をつくり、中国(元)と貿易をすることで資金集めをした話は有名です。

この貿易で約4億円の利益を出したというので、夢窓疎石はビジネスの才能もあったのでしょうね。

夢窓疎石の存在無くして【天龍寺】の建立は実現しなかった、と言っても過言ではないほど、寺の建立と臨済宗の地位向上に貢献した夢窓疎石は、【天龍寺】の庭園の作庭をも担い、この庭園は何百年にも渡り多くの人々の心を魅了し続けています。

京都の世界遺産【天龍寺】見どころ

出典:京都再発見帖

京都の世界遺産【天龍寺】は、日本で初めて史跡・名勝に指定された庭園や、八方睨みの龍といわれる天井画など見どころが満載です。

【天龍寺】の見どころを簡単にご紹介させていただきます。

【天龍寺】の見どころ 作庭の天才・夢窓疎石が手掛けた「曹源池庭園(そうげんちていえん)」

【天龍寺】の1番の見どころといえば、やはり!開山の夢窓疎石が自ら作庭した庭園「曹源池庭園」でしょう!

約700年前の面影が残る「曹源池庭園」、曹源池と名付けられた由来は、夢窓疎石が作庭中に「曹源一滴」と印された石碑を見つけたことから「曹源池庭園」となったといわれています。

「曹源一滴」とは禅の用語で、一滴の水は命の源であり、あらゆる物の根源であるという意味です。

この「曹源池庭園」は、池泉回遊式庭園と借景式庭園の2つの日本庭園の形式が融合しつくられています。

池泉回遊式庭園とは、池の周りに築山を築き、池中に小島、橋、名石が配置されるなど変化に富む庭園の形式をいいます。

京都にある池泉回遊式庭園は、桂離宮、修学院離宮、勧修寺、二条城の二の丸御殿などが有名ですね。

続いて、借景式庭園とは、庭の背後や横にある山や川、樹林などの自然物や、寺社の建築などを背景として取り入れた庭園の形式です。

「曹源池庭園」のつくり

①借景

南西は嵐山、西は亀山、北西は愛宕山を借景として取り入れています。

池の向かって左は池幅を広く、右は狭くすることで、左方では借景の山並みが近く、右方は遠くに見えるように計算されつくられています。

夢窓疎石は、借景で周囲の山々を取り入れることで、大自然の形を悟りの境地に見立てた禅のの思想を表現しているのではないかと考えられています。

②築山

通常の庭園では、築山は人工的につくられることが多いのですが「曹源池庭園」では自然の地形を築山に見立ています。

③石橋

龍門瀑の下には3枚の石でつくられた橋石組があります。

青石、緑泥片岩などの自然石でつくられていて、自然石を使用した橋石組では、現存する最古のものとされています。

④三尊石(さんぞんせき)

日本庭園の石組の基本パターンで、仏教の三尊仏を石であらわしたものです。

【天龍寺】では、中心の石が釈迦如来、横石は文殊菩薩、低い立石は普賢菩薩に見立ててあります。

三尊石を取り入れた庭園は多くあり、阿弥陀如来+観音菩薩+勢至菩薩や、薬師如来+日光菩薩+月光菩薩など様々な組み合わせの三尊石があります。

三尊石は庭園の中心的存在ですので、庭園を見る時には注目して見ていただきたい部分です。

⑤龍門瀑(りゅうもんばく)の石

龍門瀑は中国の故事「登竜門」に基づいてつくられた滝石組です。

中国黄河の急流にある三段滝を登り泳ぎ切った鯉が龍になるというお話です。

鯉魚石(りぎょせき)は、滝の下に配置するのが一般的ですが「曹源池庭園」では、横に配置することで、鯉が龍になる途中の姿を表現しています。

水落石(みずおちいし)は、滝石組の中心にあり、水が流れ落ちるように配置されています。

上図の手前の水落石は平面が平らで鏡石といいます。

⑥出島

「曹源池庭園」の東岸に浜辺と入江を表現した大小2つの出島があり、この出島は、庭園のアクセントになっています。

【天龍寺】の「曹源池庭園」は、作庭者である夢窓疎石が、禅の修行と悟りを庭園に見出し、実践したといわれています。

【天龍寺】の見どころ・大方丈

168畳敷の部屋がある【天龍寺】の大方丈には、本尊の釈迦如来座像が安置されています。

平安時代後期につくられたもので、像高は88.5㎝、寄木造りで、過去に8度の火災を乗り越えた仏様です。

大方丈から見る「曹源池庭園」がまた、大変素晴らしい光景です。

大方丈の襖絵も有名で、明治時代の画家・物外道人(もつがいどうじん)が手掛けた龍の襖絵は、迫力満点ですよ!

【天龍寺】の見どころ・法堂

【天龍寺】の法堂は桁行・梁行どちらも約9mという大きなお堂です。

この法堂の天井に描かれているのが、昭和~平成の日本画家・加山又造が描いた「八方睨みの龍」と呼ばれる「雲龍図」です。

直径9mの円の中に描かれた龍は、どの角度から見ても龍と目が合い、睨まれているように見えます。

通常は、土曜日・日曜日・祝日のみ参拝可能ですが、特別公開期間中は平日も参拝することが可能です。

この法堂には、釈迦三尊のほかに、夢窓疎石と足利尊氏の尊像が祀られています。

【天龍寺】の見どころ・放生池(ほうじょうち)

勅使門のすぐそばにある放生池では、毎年7月上旬に大輪の蓮の花を楽しむことができます。

【天龍寺】の見どころ・庫裏(くり)

【天龍寺】の庫裏では「達磨図(だるまず)」を見ることができます。

元臨済宗天龍寺の前管長の平田精耕(ひらたせいこう)氏が描いた「達磨図」は、今では【天龍寺】のシンボルマークになっていますね。

【天龍寺】の見どころ・望京(ぼうきょう)の丘

【天龍寺】の望京の丘は、比較的人が少なく【天龍寺】の穴場スポットです。

小高い山になっていて、広大な【天龍寺】の境内と、京都市街を一望できる場所です。

京都の世界遺産【天龍寺】基本情報

【天龍寺】所在地:〒616-8385 京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68

地図はこちら↓

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

京・都らいふぉ~すサイト運営者のNONさんと申します。

数あるブログサイトの中から当サイトにお越しいただきありがとうございます。

京都生まれ京都育ちのNONさんが、京都の観光地やイベント、お薦めの飲食店などなど京都の情報をたくさんお伝えします。

コメント

コメントする